「パスワード」というアナロジー

河本孝之(Takayuki Kawamoto)

1st appeared: 2016-05-09 11:44:17.

普段は色々なブログやメディアサイトから情報を得るために feedly というウェブサービスで RSS の配信を購読しています(こういう、技術的に正確であろうと注意しながら書くと、どうしても堅い表現になるのですが、当ブログをご覧いただいている方には大した負担ではないと思います)。feedly では RSS をカテゴリーごとに分類でき、一つのカテゴリーとして "Religion" を作ってキリスト教や仏教やイスラム教に関連する記事を購読しているわけですが、『クリスチャントゥデイ』に木下和好という方が「富についての考察(47)パスワードから学ぶこと」という記事を掲載されています。もちろん「パスワード」について何か書かれているらしいと思って読んでみたわけですが、情報セキュリティの実務家として、それから哲学に携わる者として違和感を感じたため、ここで取り上げます。

それはそうと、記事のタイトルが「富についての考察(47)パスワードから学ぶこと 木下和好」となっているのですが、著者名をタイトルに入れるという奇怪な習慣は(もちろんこちらはプロなので SEO だという事情は分かっていますが)やめた方がいいと思います。

どうやら話の発端は、オンラインで利用しているサービスでは頻繁にパスワードを変更するように求められ、そのパスワードが複雑でなくてはならないとされていることに疑問を感じたということのようです。そうした複雑なパスワードを運用しなければいけないというのは、一つの苦行や苦難である。しかし、子供のしつけやスポーツ選手の精神的鍛錬と称するしごきや新入社員のトイレ掃除あるいは宗教上の修行は、信仰のために必要でもなければ精神的な「レベル」を高めるわけでもない。真理の「パスワード」は単純であり、それを信じて受け入れた者なら、特に長いあいだに渡る修行を経なくても真理に到達するのだから、我々に必要なのはそういう単純な「パスワード」なのであるというわけです。

僕は自覚して特定の宗教・宗派に帰依しているわけではなく、宗教学の素養もありませんが、このような議論は非常に不見識に思えます。このような議論が、すぐに免罪符や絵馬を一枚買えばいいかのような発想に結びつき、世の中に蔓延している夥しい数のカルト宗教において壺や教祖のウンコを買えば幸せになれるといったインチキを後押しする議論に転化してしまいやすいのは、子供にでも分かるでしょう。もちろん、この逆に必要かどうかも分からない(僕は、宗教上の合目的的な「必要性」など最初から妥当ではないと思いますが)、教団や宗派が設定している「レベル」や職位が信仰を複雑にしてしまっているという指摘は理解できます。しかし、それが「理解できる」のは、僕がそれらの宗教を信仰しておらず、それぞれの職位なり「レベル」が設定されている宗教内部での合目的性を理解していないからかもしれません。

木下さんの議論は、当サイトのテーマの一つである認証に関わる言葉や仕組み(「パスワード」)に関わっているという理由から取り上げたわけなのですが、情報セキュリティの実務家としては、パスワードあるいは認証という仕組みがどうして必要なのかを(たとえ何かのアナロジーとして使っているとしても)木下さんは誤解されていると言わざるをえません。認証という仕組みは、credentials を提示する何かが人のデータ入力という行為であろうとプログラムのメッセージ・コールであろうと区別しません。また、それによって認証した効果は一定の権限をロールとしてあてがわれた機能へのアクセスであって、もちろんそれだけで「真理」に到達するわけでもなければ、自分自身が利用しているリソースへ直ちにアクセスできるわけでもありません(次の「認可」というプロセスによって、実際にロールとしてあてがわれた機能を実行できる権限が許可されない限り、パスワードでログインしてウェブアプリケーションへアクセスできても、ユーザはそこで何もできません)。つまり、パスワード認証を信仰のアナロジーとして使うのであれば、そういう単純な何かにアクセスできたとしても、それを「真理」として受け容れられなければ、まさしく猫に小判でしかないということになるので、やはり「真理」を「真理」として受け入れるための修練が必要であるという話になってしまいます。逆に「パスワード」という仕組みは、宗教において一定の修練や信仰の「レベル」が必要だという議論を正当化するためのアナロジーとしても使えてしまえます。

こういう事例を見ても分かるように、哲学でもアナロジーや例え話は非常に多く使われるわけですが、そのようなアナロジーの状況設定(set-up)に当人の予断や思い込みが混在してしまうと、そういうアナロジーを使った時点で論点先取になったり、当人の偏見をいたずらに強化したり隠蔽してしまいます。そして、本人が自分自身の予断や思い込みに気づかないまま、アナロジーという set-up の内部での整合性を何とか調整しようとしたり、他のアナロジーとの無駄に厳密な比較をし始めたり、果ては科学の成果として評価されたり事実あるいは常識と見做される事柄よりもアナロジーから導かれる結論を優先するような思考に陥る危険があります。(科学哲学と分析哲学とは「英米系」と総称されることも多いのですが、科学哲学の研究者として眺めると、分析哲学において「クオリア」や「ゾンビ」や「水槽の脳」や「スワンプマン」といったお馴染みのアナロジーを、それ自体で哲学的な価値があるかのようにあれこれを分析しようとするのは、はっきり言って時間の浪費だと思います。)

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著者の簡単なプロフィール

河本孝之(かわもと・たかゆき / Takayuki Kawamoto)

大阪市内のベンチャー企業で Chief Privacy Officer(個人情報保護管理者)として、情報セキュリティにかかわるマネジメントや社内システム、ネットワーク全般の運用を担当。1968年、東京都目黒区生まれ。神戸大学大学院博士課程中退(科学哲学専攻)。日本科学哲学会所属。Twitter アカウントは @identifiable_me